しょせん紙やのに、なんで紙幣は価値が高いんやろう。
考えてたら「所有」や「狩猟採集」や「縄文」にまで発散していった、の巻
貨幣の価値への違和感
貨幣とは、商品の交換に使われたり、価値の尺度となったり、富として蓄えられたりするものです
いま私たちが使っている貨幣は、しかくい紙幣とまるい硬貨からなる「現金」と、銀行の帳簿に記されている「預金通貨」といわれるものです
日本の紙幣にほどこされる偽造防止加工は世界トップクラスなんだとか。とはいっても紙は紙ですから、貨幣によって交換しようとしている商品と比べれば、それに見合うほどの価値があるとは思えません
もっというと、金や銀はみなが認める財宝であり、貨幣としても役立ちますが、どうしてそんなに重要なのでしょう。その価値をほんとうに理解しているか怪しいものです。生活必需品ではないし、日々の生活において直接的に役立つことなどほとんどありません。情報社会の現代となっては、電子機器制御において重要な役割を果たしているといえますが
現金や預金通貨。このような貨幣を遠いご先祖たちも使っていたわけではありません。貨幣はいかにして現れてきたのでしょう。どのように進化してきたのでしょう
貨幣なき原始的社会
物々交換で求められる素質
貨幣がない時代には、貨幣を介さず、直接交換が行われていました。物々交換ともいいます
さらにそれよりも前、交換をしない生活では、自分に必要なものを自分で間に合わせなければなりません。「占有」の価値観によって行動します。重要なのは資源を手に入れられるかどうか、早い者勝ちの世界です
明日の百より今日の五十。曖昧なものより確実なものを、そして得られるものより失うものに敏感な気質をつくります
チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンは物々交換をしないそうです。彼らは所有という概念は持ち合わせておらず、食べ物を獲得するのに必要な道具でも、使い終われば捨てます
物々交換にいたるには、ある概念が必要になります。それが「所有」です。というのも、あるものを受け取ったり譲ったりするには、そのあるものが自分のものであると認識していなければなりません。道具を所有し続けるのは、ヒトだけです
所有の核心は、所有者がそこにいなくても、所有者の存在を予期し、財産を奪ってはならないという規範を理解することです。資源が入手できるかよりも、すでに入手したものが奪われないこと、離れても維持できることが重要です。所有の世界では、私はあなたの所有権を守り尊重しますから、あなたも私にそうしてくださいねと他者に期待するのです
生物は生まれながらにして「占有」の欲求を持ちます。そして「道具の使用」は「所有」や「物々交換」に先立ち、さらに「所有」や「物々交換」に至ったのはヒトのみなのです
物品貨幣とその進化
物々交換をするようになると、新たな困難を迎えることになります
たとえば、Aさんが小麦を羊肉に変えたいとします。直接交換をするなら、羊を持って小麦を欲しがっているBさんを探さなければなりません。運よくBさんを見つけたとしても、Bさんが認める羊の価値に見合った量の小麦をAさんが持ち合わせていなければ、Bさんは交換に応じてくれないでしょう
直接交換の道のりは長く、次の項目をすべて満たさなければなりません
- 自分が欲しいものを、欲しいときにちょうど持ち合わせている相手を見つける
- その相手が自分の持ち物を欲しいと思っている
- その持ち物を、自分は手放してもいいと思っている
- 相手にとって、自分が手放すものの量が納得できるものである
- 自分にとっても、相手から渡されるものが手放したものの量に見合っていると思える
後半部分を難しくしているのは、ここでいう羊など、交換するには価値を持ちすぎているものが分割性に欠けることです
お金とまではいかないけれども、交換を媒介するものが現れてきます。そういう交換の媒介物は生活必需品であったことでしょう。生活必需であるゆえに需要があり、誰しもが手に入れやすいためです
人々のあいだで、社会における自分の価値を示す重要性が拡まれば拡まるほど、そして所有物がその証明に関わるほど、生活必需品とは別のものも交換されるようになります。それは装飾品です
生活必需品よりも、装飾品のほうがより貨幣たりうる性質をもちます
生活必需品は、その供給量が充分であれば、交換が盛んになっても価値は低くなります。逆に供給が不十分になってしまうと、価値は高まりますが、誰もが交換に出さなくなります。装飾品は生活必需ではないゆえ、生活の貧富に関わらず、世間を流れることができます
交換に用いられる生活必需品や装飾品を物品貨幣といいます。具体的にどのようなものが出回っていたのでしょう
狩猟段階
特定の場所に定住することなく、大きな社会もつくらず、人口密度も低いままでした。野生の動物を捕らえて食したり、動物の皮を身にまとっていた時代です。ローマ、スパルタ、カルタゴで現れた最初の貨幣は鞣革だったといわれています。ロシアやアメリカでも動物の皮が使われていた記録があります
牧畜段階
狩猟段階よりもひとつの場所に落ち着くようになります。動物を飼い慣らし、それゆえ牛や羊が貨幣の役割を担っていました
農耕段階
よりひとつの場所に定着するようになります。というか、田畑の近くに住まわざるを得ないでしょう。この段階に入ると、貨幣的手段が大量に持ち込まれます。米、とうもろこし、タバコなどが挙げられます
金属貨幣
ここまで見てきた物品貨幣というものは、それが使われる地域によって差があります。異なった文化圏の物品貨幣が持ち込まれると、交換比率の問題が浮上します。なので地域内では盛んに交換されても、地域間の交換にはなお困難が伴うものでした。これを解消したのが金属貨幣です
金属には、貨幣に適した、次のような性質があります
- 軽便性(portability)
- 耐久性(durability)
- 同質性(homogeneity)
- 分割性(divisibility)
- 認知性(cognizability)
- 価値安定性(stability of value)
鉄、錫、鉛、銅、銀、金などが代表的な金属材料で、上記の観点から見て、特に銀と金が重要なものでした
はじめは単なる塊や粉状だった金属貨幣は、やがて一定の形状をとって、表面にはスタンプが押されるようになります。これでどれだけの価値をもつか一目でわかるようになり、金属片を数えるだけで価値を決めることができるようになりました(算数貨幣化)
やがて鋳造によって貨幣がつくられるようになります。近代社会では、銀や金で基礎的な貨幣をつくり、銅などの卑金属で補助貨幣をつくっていました。今日では世界諸国において、実際に硬貨として流通しているのは卑金属貨幣のみであるといえます
紙幣
算数貨幣が浸透していくにつれ、貨幣にたいする人々の価値観が変わります。交換できるなら、金といった高価で貴重な素材でつくらなくてもよくないか?ということです
たとえば、gold smithという、19世紀中頃までロンドンで栄えた貴金属商がありました。そこが貴金属貨幣や貴重品を預かった際に渡した手形が、商人間の決済に使われるようになります
こうして社会的信用は高いが、素材としてははなはだ価値の低いものが、金貨や銀貨と同時に流通するようになります。こういった貨幣がいつしか金貨や銀貨を超えて、主流となるに至ります
gold smithの渡した手形は、つまり金や銀の預かり証明書ですから、gold smithへ持っていけばそれで金や銀と交換できます。同様に初期の紙幣は、金に基礎を置く(金本位制度)もので、金との交換を保証するものでした
しかし戦争が起こると、法律で金との交換が停止され、その金が戦争物資の調達に回されたりしました。第一次世界大戦後、世界の多くの国が金本位制度から管理通貨制度に変わり、紙幣と金が分離されるにいたります
管理通貨制度では、金ではなく、紙に基礎をおきます。私が気にしたように、紙ではあまりに価値が低いので、紙幣によって交換される商品を中心に考える見方(商品本位制度)もあるようです
占有から所有への移行
狩猟採集から農耕への移り変わりについて、もう少し掘り下げたいと思います
狩猟採集民は、個人の所有物というものをほとんど持ちません。移動することが前提であれば、荷物が多いと不利なので無理もありません
分かち合いや貸し借りがあたりまえなので、誰も使っていないものを許可なく使うことは窃盗にはなりません。物の持ち主に使っていいかと聞く場合でも、それは相手に所有権を認めているというよりは、ただ使用中かどうかを確かめているだけといえます(要求による分配)
狩猟採集と農耕は、ときに遊動と定住の対比として見られることがあります
ところでヒトは、自ら進んで定住生活を始めたと思いますか?
紙幣があらわれたときのように、段階的な価値観の変化はあったかもしれません。が、狩猟採集で生活していた人々が望んで定住したとは私には思えません
明日の百より今日の五十。現代に生きる私たちにも言えますが、すでに確立された生活様式を捨てて、新しい生活様式を求めるとは考えにくいのです。地殻変動か何かによって、やむなく定住生活を始めることになったのではないでしょうか
日本では、縄文人は竪穴住居に住んでいたということになっています。彼らは春には山菜採り、夏には漁労、秋には木の実拾い、冬には狩猟をした狩猟採集民族と考えられています。縄文時代にも農耕があったという説がでてきていますが、稲作はいまだに弥生時代からのものです。こんなにも四季折々たのしみ満載な暮らしのなかで、草むしりやら水路開発やら、田畑づくりという地味な苦労はしていなかったんじゃないでしょうか
定住生活には必ずしも食糧生産は必須ではないのでしょう。定住生活によって新たに必要となったのは、生活圏の掃除と仲間の遺体の処理でした。狩猟採集民は、土地の資源が少なくなれば移動しますし、そのときに排泄物も遺体も置いていきますが、定住生活でも同じようにしていると環境はわるくなる一方です
考古学において、定住生活であるかの目印はゴミ捨て場とお墓の存在です。そして定住文化の始まりと同時期に、漁具の出現が並行して起こります
この漁具は果たして「所有」されていたのでしょうか。定住しながら狩猟採集民でもあったとき、道具の扱いはどうなっていたのでしょう。私なりに思うのは、住居があるんだったら、所有の兆しはあったのではないかなあということです
狩猟段階の物品貨幣として鞣革があることは触れましたが、食糧ではないですし、そんなにいつでも欲しいものではないように思うんですよね(ここは当時の生活についてもっと知る必要がある)。じゃあこの段階からあらわれる心理として、「自分にとっていま本当に必要で欲しいものではないけれど、今後必要になるだろうし、とりあえず交換に応じるか」というのがあると思います。それは未来を考慮するということです。環境維持のための掃除といい、定住生活では少しずつ未来の奥行きが深まっていきます
言ってしまえば、狩猟採集生活では食べたいときにだけ採集に出かければよかったのに、農耕が始まったことで、空腹ではないときでも人生に備えることが可能になりました。見慣れた風景のなかで探索能力は持て余され、生きるのに有利なものを探す能力は、自然の食糧から富に向けられるようになります。有能さは狩りで獲物を仕留めるよりも、どれだけ富を蓄えられるかで図られるようになります。これは終わりなき所有の始まりです
奢侈は自分自身の安楽と他人からの尊敬とを熱望する人々にあっては予防できないものであるが、それは社会がすでに始めた悪をやがて完成する。そして貧しい人々を作ってはならなかったのに、その貧しい人々を生活させてやるという口実のもとに、奢侈は他のすべての人たちを貧しくし、おそかれ早かれ国家の人口を減らすのである。
ルソー著 小林善彦訳「人間不平等起源論」中公文庫(1974), p.147
参考文献:
ブルース・フッド著 小浜杳訳『人はなぜ物を欲しがるのか 私たちを支配する「所有」という概念』白揚社(2022), p.70-71, 84
矢島保男「貨幣と金融」世界書院(1976), p.1-10
國分功一郎「暇と退屈の倫理学」Kindle版、新潮社(2022), 位置No.914, 959, 1015
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